日本最古の物語「竹取物語」の主人公である「かぐや姫」が由来です。
伊勢参りをするたびに必ず訪れる神社があります。「月讀宮(内宮の別宮)」と「月夜見宮(外宮の別宮)」です。いずれのお宮も高天原を統べる天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟神であるツクヨミを祭っております。
古事記では、イザナギノミコトが黄泉の国から逃げ帰り、川でみそぎをしたときに、左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれた、と記されております。その後、アマテラスとスサノオは、古事記の中に頻繁に登場し、やがてアマテラスの子孫が皇統となり、第126代目の今上天皇まで繋がってゆきます。
ところが、ツクヨミは、夜を統べる神とされましたが、生誕してから古事記に登場することがありませんでした。いったい何処に行ってしまわれたのか。
多くの方は、伊勢参りをされるとき、外宮から内宮へとお参りされると思いますが、それぞれの別宮である「月夜見宮」や「月讀宮」をお参りされる方は少ないのではないでしょうか。もしも機会があれば一度お参りされてみたらいかがでしょうか。
私はなぜか、「月夜見宮」や「月讀宮」に惹かれてなりませんでした。ひっそりとたたずむツクヨミの神の前に手を合わせるとき、得も言われぬ幸せを感じ、感謝の念が湧いてくるのです。
夜を治める神のツクヨミ、その夜の象徴である「月」。竹取物語は「月」からやってきた月の人「かぐや姫」を主人公としたお話です。いにしえの人も「月」に思いを巡らせてこの物語を創ったのでしょうか。そして、日本人はその思いを代々紡いで日本最古の物語として今を生きる私たちにも届いております。私は、ツクヨミは形を変えて日本人の中に生き続けていた、そう思わずにはいられません。ツクヨミは何処にも行っておらず、私たちの心の中におられたのだと。誰のもとにもやさしく届く月明かりのように。
話は変わりますが、私の大好きな歌のひとつに「いのちの歌」があります。シンガーソングライターの竹内まりやがMiyabiという名で作詞したその歌詞の中に
泣きたい日もある
絶望に嘆く日も
そんなとき そばにいて
寄り添うあなたの影
ここにでてくる「あなた」は、私にとってツクヨミのような存在です。そこに確かに存在しているのに、明るい光のもとでは気がつかないこともある。心が沈み、落ち込んだときこそ目の前に現れて支えてくれる。
まばゆい世界へ羽ばたく前に
まずは足元をやさしく照らす月明かりでありたい
そんな願いを込めて名付けました。
ここまでお読みいただいき、ありがとうございました。
齋藤 誕

行政書士法人かぐやのロゴマークは「月」「人生の道」「輝く先に進むかぐや姫の十二単の裾」をイメージし図案化しています。